当館の名品をご紹介します。また、現在の五泉市(旧中蒲原郡川内村)出身の、本年度生誕130年を迎える彫刻家・羽下修三の作品を併せてご紹介します。
羽下修三(はが しゅうぞう 1891-1975) 中蒲原郡川内村(現・五泉市)に生まれる。1921年東京美術学校彫刻科木彫部を卒業し、帝展で活躍、1929年から二年連続で特選を受賞し、1933年には永久無鑑査となる。1936年から母校の助教授に迎えられ後進の指導に当たった。 |
修復家による、展示方法の改善によって、タペストリーのすみずみまで見ることができるようになりました。 |
雪の消えた春先の大気が爽やかです。 |
このような横たわる女性を、ロダンははじめ挿絵として描きました。この大理石の像を経て、最終的には『地獄の門』左扉に位置する「パオロとフランチェスカ」のフランチェスカへと形態を変えて発展していきました。 |
1920年代、日本では関東大震災が発生し、大正から昭和へと元号が改まるなど強烈な光と闇が交錯した10年間だったといえます。
当館所蔵品から1920年代に作られた作品に焦点を当て、当時の社会的背景や文化的様相の文脈と重ね合わせ、作品の意味することを再検証します。
第一次世界大戦の終結後、飛躍的に多くの日本人芸術家たちがフランスを中心に渡欧するようになりました。そして、学んだものを生かして独自の作風を確立していきました。
村上出身の矢部友衛は、パリでモーリス・ドニに師事し、その後キュビスム等を研究して帰国、前衛美術運動の一翼を担う存在となりました。佐伯祐三はブラマンクに会いアカデミックな様式を脱し、パリの風景を描くことに生涯を賭していきます。日本画家でも、佐渡出身の土田麦僊は20年代初頭に渡欧。各国の美術を吸収して新たな画境を切り拓く糧としました。
1923年に起こった関東大震災という未曽有の出来事は東京の風景を一変させましたが、壊滅的打撃を被った首都は、その後復興の建築ラッシュに沸きます。近代都市を描いた版画の刊行や居住空間を豊かにする工芸品や書籍の出版など、数多の作品が制作される契機ともなりました。
西蒲原郡出身の版画家深澤索一は、仲間の版画家に呼びかけて《新東京百景》を生み出しています。長岡育ちの詩人堀口大學は長きにわたる洋行から帰国して、後に大正期を代表する一冊となる訳詩集『月下の一群』を出版しました。
震災後に残された作品の意味を100年後の今あらためて振り返る機会ともなればと思います。
同じ頃のドイツはどうだったでしょうか。
1914年から4年間続いた第一次世界大戦はドイツだけで200万人もの戦没者を出し、戦後の賠償責任は経済的精神的重圧の長い苦しみをもたらしました。
芸術家の中にも戦争によって心に深い傷を負った者が多く、1920年代の作品のあちこちにそれらの苦悩が色濃く影を落としています。しかし同時に、そこには悲しみから立ち直ろうとする力や未来への希望という一条の光もまた認めることができるのです。
会期中展示替えがあります[前期:~2月6日(日)、後期:2月8日(火)~]
※画面上部の画像:深澤索一《新東京百景 築地》1929年(展示室2・3「1920年代の美術」より)[前期展示]
出品リスト(前期)(365KB)
出品リスト(後期)(347KB)
2021年12月21日(火) ~ 2022年03月21日(月)
9:00~17:00
券売は16:30まで
12月27日(月)、29日(水)、30日(木)、31日(金)、2022年1月1日(土)、2日(日)、3日(月)、11日(火)、17日(月)、24日(月)、31日(月)、2月7日(月)、14日(月)、21日(月)、28日(月)、3月7日(月)、14日(月)
一般430円(340円)
大学・高校生200円(160円)
※中学生以下無料
新潟県立近代美術館
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