学芸員コラム㉓ ロートレックを巡るモノローグ ― たかがポスター、されどポスター

2023年08月08日

    ピカソがまだ二十歳にもならない頃、ロートレックの作品から大きな影響を受けていたことはよく知られています。ワシントンのフィリップス・コレクションに所蔵されているピカソの初期の名品《青い部屋》1 は、室内で沐浴する裸婦を描いたものですが、アトリエらしきその部屋の壁には、ロートレックのポスター《メイ・ミルトン》2が飾られていました。《青い部屋》が制作された1901年は、ロートレックが36歳で病没したまさにその年です。敬愛する先輩画家へのオマージュともいうべき作品であったことが推察されます。ピカソの「青の時代」の作品を貫いている社会の片隅に生きる人々への鋭い眼差しは、ロートレックに少なからぬ部分を負っていたことが窺えます。

  1. https://www.phillipscollection.org./collection/blue-room
  2. https://www.clevelandart.org./art/1952.10 

    もしロートレックがポスターというものを描いていなかったら―と想像してみてください。上述したピカソの《青い部屋》が誕生していないことは勿論ですが、もしかすると、今日人々を魅了しているパリの街も、現在の姿ではなかったかも知れません。少なくともロートレックが愛したモンマルトルの街は、全く同じではないでしょう。世界中から観光客が集うモンマルトルの遊興施設「ムーラン・ルージュ」は、ノートル・ダム寺院に匹敵するほどの観光名所といわれています。それももとをたどれば、ロートレックがこの店を主題に多くの作品を描き、モンマルトルのスターたちの姿を永遠にポスターにとどめたからではないでしょうか。ロートレックが店から依頼されて、最初に手がけたポスター《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》3(1891)は、パリの街じゅうに貼られ、大評判となりました。「パリの壁の上に鉄拳のように炸裂し、乗合馬車の御者までも振りかえらせた」と逸話が残るほどです。一枚のポスターが、人々の心を深く揺さぶったのです。ロートレックによって、ポスターが広告から芸術に高められたといわれるのも頷けます。

     3. https://www.metmuseum.org/art/collection/search/333990

 ポスターのデザインに天賦の才を発揮したロートレックですが、希代の才能をもってしても実現しなかったものもありました。その一つが歌手イヴェット・ギルベールのポスターです。経緯をひもとくため、まずは前段となる《ディヴァン・ジャポネ》(1892)(図1)を見てみましょう。

(図1)アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《ディヴァン・ジャポネ》1892年  京都工芸繊維大学 美術工芸資料館

​  「日本の長椅子」という意味の名前を持つカフェ・コンセールからの依頼で描かれたものです。中央の黒いドレスの人物はジャヌ・アヴリルという踊り子で、ロートレックのお気に入りのモデルでした。ジャヌとロートレックはお互いの芸術性を認め合い、何点もの絵画やポスターを創り出す信頼関係にありました。右隣りの男性は評論家エドゥアール・デュジャルダンです。ここで注目したいのは、左奥のステージ上にいる女性歌手です。首から上が大胆にトリミングされていますが、その特徴的な黒い手袋によって、人気歌手イヴェット・ギルベールであることが分かります。イヴェットはディヴァン・ジャポネやムーラン・ルージュに出演し、文豪エミール・ゾラも惚れ込んだほどの才能豊かな歌い手でした。その彼女から1894年冬のシーズン宣伝用ポスターを作ってほしいと頼まれ、ロートレックは大喜びで制作に取り掛かります。ところがその下絵を見た時、あまりにも醜いといって彼女の周囲が騒いだため、イヴェットは注文を取り消してしまいました。ロートレックに宛てた手紙には、彼女の心境がしるされています。「私をあんなにひどく醜く描かないでください!……皆が皆、芸術を理解するわけではないのです」。代わりに選ばれたのが、後にシャ・ノワール(黒猫)のポスターで有名になるスタンランです。出来上がったデザインは堂々たる立ち姿のイヴェットでした(図2)。

(図2)テオフィル・アレクサンドル・スタンラン 《「イヴェット・ギルベール公演」アンバッサドゥール座》1894年 京都工芸繊維大学 美術工芸資料館

    ポスターは幻となってしまいましたが、イヴェットを描くことへのロートレックの熱量は相当なものであり、彼女を主題とする版画集を出版しています。戯画的なまでに個性を強調したイヴェットの表情は、とても魅力に富むものです。ここで、改めて素朴な疑問が湧いてきます。なぜイヴェットはロートレックのポスターを受け入れられなかったのでしょうか?顔を醜く描いたという理由だけなら、同趣向の版画集の出版を認めたことは不可解です。様々な要素が絡み合っているので、単純に答えが出せるものではありませんが、一つ考えられるとすれば、絵画や版画があくまでも限られた美術愛好者のために作られるものであるということでしょうか。一方、ポスターは万人の目に触れるストリート・アートであり、限りなく開かれた存在です。ポスターと版画をジャンルレスに行き来したロートレックでしたが、両者の間にはもう一つ見えない壁があったというリアルな前提を、イヴェットの一件は物語っているように思われてなりません。                                                                   

(専門学芸員 平石昌子)

*コラムで言及したロートレック《ディヴァン・ジャポネ》とスタンラン《「イヴェット・ギルベール公演」アンバッサドゥール座》は、現在開催中の「華麗なるパリ ベル・エポック展」に出品されています(8月27日(日)まで)。この機会にぜひご鑑賞ください。

参考文献:◎ルイ・シュヴァリエ/著 河盛好蔵/訳『歓楽と犯罪のモンマルトル』文藝春秋 1986年 ◎池上忠治/監修 『トゥールーズ=ロートレック―ロンドン、パリ作品展の記録』同朋舎出版 1994年