学芸日誌⑫ 大人のための印象派講座

2019年05月17日

何年か前に、友人がニューオーリンズから絵葉書を送ってくれたことがありました。アメリカ南部のその町にはフレンチクオーターと呼ばれる歴史的な地区があり、ユニークな建築物が多く、ジャズの音があふれていること、ドガのひいおじいさんが19世紀初頭に建てた家が残っていることなどが書いてありました。エドガー・ドガは、フランスの印象派というイメージが強いのですが、お母さんはニューオーリンズ出身でした。ドガ自身も38歳の時にこの町を訪れています。アメリカという国は、ドガにとって果てしなく遠い土地だったでしょうが、同時に、最も身近な故郷のように感じられた場所だったことが想像されます。一枚の絵葉書は、作家の生い立ちをめぐる物語へと思いを誘ってくれました。

近代美術館は、改修工事のため現在休館中です。アウトリーチ活動の一つとして、公民館などの依頼にお応えして「出前講座」を行っています。「大人のための印象派」というのが今回の私のテーマです。「大人のため」とは、私たちがよく知っている印象派を、いつもと違う角度から眺めてみようという意味でつけました。お決まりの風景画家ではなく、人物画家であるドガを敢えてとりあげるのもそんな試みの一つです。

エドガー・ドガ《花瓶の傍らにすわる女性(ポール・ヴァルパンソン夫人?)》1865年 油彩・キャンヴァス 73.7cm×92.7cm メトロポリタン美術館、ニューヨーク

アメリカの美術館にはドガの優れた作品が収蔵されています。《花瓶の傍らにすわる女性》(1865年)もその一点です。ここで注目していただきたいのは構図です。見れば見るほど奇妙な構図です。まず、画面の中心にある花瓶からこぼれんばかりに活けられた花の見事さに目を奪われます。それが主題だとすると、これは静物画ということになるでしょうか。では、横にいる女性は何なのでしょう。やはりこの作品は人物画と呼ぶべきかもしれません。しかし、それにしては女性は画面から押し出されてしまいそうなほど隅っこにやられています。主役は花なのか。はたまた女性なのか。思考は堂々巡りを繰り返し、結論にたどり着くことはできません。そうこうしているうちに、主題やジャンルといった昔ながらの形式が無意味であることをいわんとしたドガの目論見がだんだん読めてきます。

美術史に詳しいならご存知だと思いますが、ドガはこの中心を外した構図を日本美術から学んだといわれています。画面の中に日本的なモチーフは描かれていないにもかかわらず(この花は菊ではないというのが近年の説です)、この作品は私たちに日本的なものを強烈に感じさせるのです。そしてこの構図によってドガが描きたかったことは何か、というさらに重要な問題へと興味がかきたてられます。7月に予定している出前講座では、そうしたことについてお話してみたいと思います。新しい絵画を目指した画家と、彼が生きた時代についてご紹介できるのが楽しみです。(専門学芸員 平石昌子)