2021年12月06日
現在、新潟県立近代美術館では「“ものがたり”をめぐって」というテーマで展示を行っています(会期:2021年9月10日~12月12日)。そこで紹介しているものの中には、絵本原画も入っています。展示しているのは、三芳悌吉の『ある池のものがたり』の原画です。この絵本は、現在の新潟市の西大畑町に実際にあり、新潟市民に親しまれた「異人池」が、誕生してから無くなるまでの、およそ100年を描いた物語です。絵本は1986年に福音館書店から発行されました。水彩絵具で描かれたこの絵本の原画は、保存状態もよく、みずみずしい色彩が美しく映え、印刷とはまた異なる紙や絵具の風合いも伝わります。
絵本原画とは、印刷製本される前の作者直筆の原画ですから、この世に1点だけの貴重なものです。とはいえ、「原画」そのものは、絵本に掲載されている画像とほぼ変わりません。でも、その「原画」や「絵本」の姿になるまでには、時には、気が遠くなるほどの道のりがあるのです。
きっかけは、福音館書店の編集長との雑談だったといいます。3歳から17歳までの幼少年時代を新潟市で過ごし、夏休みには「異人池」に日参して釣りを楽しんだ三芳悌吉は、この思い出話がきっかけとなって絵本を作ることになったのです。ちょっと洒落たネーミングの「異人池」は、当時の多くの新潟市民の心に残っていた池ではありますが、かといって、当時は既に無くなっており、とりたてて名所というわけでもなかった小さな池の歴史など、どこかに書き留められていたわけではありませんでした。
これを絵本にすることが決まってから、三芳は足繁く新潟市に通い、調査を始めました。当時を知る人たちを訪ねたり、郷土史や市史を調べたりしましたが、池の正確な実態は簡単には掴めなかったといいます。人々の記憶が曖昧で食い違いがあったからです。新潟カトリック教会や新潟小学校に保存されていた数百枚の写真や資料も集め、ノートを作るなどして、ようやく輪郭が見えてきました。一度この池を泳いでみた自身の経験から、「池が先に存在していて、あとに教会ができた」のではなく「教会が井戸を掘って水が湧き出た」らしいことも掴みました。ここまでで3年の年月がかかったといいます。
そして、その先が絵本制作です。今回は原画だけを展示していますが、当館には、この原画の他に、『ある池のものがたり』の「試作」と「構想メモ帳」も保管されています。「試作」は、それぞれの場面の絵がクリアファイルに入れられており、一枚一枚にテキストもついています。そして、「構想メモ帳」はクロッキー帳に描かれた試作品で、赤字や付箋による検討跡がたくさん残っています。
「試作」では40もの場面の絵が描かれていますが、「構想メモ帳」では13点の絵が省かれて27場面に減っています。さらに、本画では、さらに場面を省いたり、「試作」の場面が復活したり合体したり、アングルの変更もして、最終的には24場面に整理されています。
最初に描かれた40枚の絵は、調べ上げた池の歴史だけでなく、日本や新潟の歴史、さらに自身が歩んできた思い出など、たくさんの思いが詰まったものだったはずです。これを、絵本の趣旨や読者へのアプローチを考慮して、半分近くにまで減らしたのでしょう。
この絵本は池の歴史を科学的な眼で描いたものといえますが、子供のころから生物に興味を持ち、画家になる前新潟医科大学や東京帝国大学医学部で顕微鏡図の作成に携わっていた三芳は、さらに、池の中や周辺の動物や生物、植物の、池の変化に伴う変遷やその生態までも挿絵に描き添えています。
原画を描く作業には8か月を要したといいます。つまり、合わせて4年近くもの年月をかけて、この絵本は作られたことになるのです。それでも、三芳によれば、「事実が40%、推理30%、フィクション30%。たぶん、そんな構成でしょう」とのことです。
インターネットで検索すると、新潟市の西大畑町の項には異人池の歴史が記されています。これは新潟市が出した『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』から引用されてはいますが、この歴史双書自体が絵本の刊行より後の2004年に刊行されていますから、三芳が調べ上げたことを下敷きに書かれていると思って間違いないのではないでしょうか。
当館にはこの『ある池のものがたり』のほかに、同じく三芳悌吉による絵本『川とさかなたち』の原画およびその資料も収蔵されています。こちらの資料を見ても、やはり大量の取材と準備をした跡が残っています。
一冊の絵本を作るのに、どれだけの努力と時間が払われているのか、考えながら読むことはあまりないでしょう。三芳は、新潟日報に掲載された「ふるさと人物伝」の中で、「新潟が与えてくれたのはねえ、粘りじゃないですかね」と話していますが、美術館で保管されている資料からは、その努力と、新潟が培った三芳の「粘り」が見えてくるのです。
(専門学芸員 宮下 東子)