2023年02月15日
先日、県内のある小学校の6年生が当館を団体観覧で訪れました。彼らは学校の開校40周年を記念し、空き教室を展示室として、これまでの学校の歴史や現在の活動を展示しているそうです。展示の工夫を見学することも今回のねらいの一つでした。
来館した彼らは、コレクション展「命脈―命と美のつながり」を鑑賞しました。ここでは、親子や兄弟など、血縁関係にある作家を取り上げています。その作家の多くが、作家である親のもとに生まれ育っています。そんな境遇を子供達はどう思うのでしょうか。観覧前の彼らに聞いてみました。
「美術に興味があるから、そんな環境で生まれたらうれしい」と言う子がいる一方で、「同じ道に進むとしても稼げるか心配」「考えを押し付けられそう」とどちらかというと否定的な意見の方が多く挙がりました。生まれた境遇がどうであれ、自分の進む道は自分で決めたいという気持ちの表れです。
ものをつくったり、絵を描いたりすることで生計を立てる親の姿を見て、その道を志す、というのは自然な流れのようにも思えます。しかし、そこには多くの葛藤があったに違いないのです。
宮田亮平氏は幼少期を振り返り、才能ある兄や姉たちと比較されるのが辛かったと述べています。絵を描くことが楽しくなくなり、芸術家以外の何かになりたいと思ったそうです。しかし、後に藝大で学ぶことや作家としての活動に大きな影響を与えたのも兄や姉でした。比較されることでの劣等感より、憧れる気持ちの方が大きかったのでしょう。自分の道を進む亮平へ、兄の宏平は厳しい助言もしましたが、そのことに感謝していると言います。
信濃、越後、越中で宮彫師として活躍した父をもつ北村四海氏も、絵を描くことやものをつくることが好きな子どもでした。母は遠方での仕事が多い宮彫師になることには反対しますが、現場で輝く父の姿を目の当たりにし、四海は宮彫師になります。しかし、四海が目指していたのはもっと先の世界でした。大理石彫刻の技を苦労して習得します。そしてその技は甥で養子になった正信が受け継ぎ、発展させていきます。
改めて考えると、作家が生まれ育った境遇というのは天の定め「命」でした。その中で、自分で決め、自分でつくり、道を切り拓いてきました。確固たる自分を表すことができるのも、血縁関係にある作家とのつながり「脈」があったからこそではないでしょうか。つながりを大切にし、自分で決めてきたことの積み重ねが「命脈」なのです。
観覧後の児童の中に、作家の環境のもとに生まれることに否定的だった考えが変わったと話してくれる子がいました。「それぞれの作家が、自分の考えをしっかりともっていると感じた」からだそうです。自分を表現する喜びを感じ取ってくれて、うれしかったです。
彼らがつくった学校の展示室では、地域の方や卒業生が、当時を思い出しながら、展示を楽しんでいることでしょう。もうすぐ卒業する彼ら自身が、再び訪れることもあるでしょう。自分で決めることの大切さを知る彼らが、地域でのつながりを実感できる場として、学校の展示室が賑わってくれればと願っています。
(副参事 金澤健志)
展示室2 「命脈 ―命と美のつながり」