2021年08月04日
HPのトピックスページで、当館のコレクションについて紹介してきた「この1点」のコーナーですが、「学芸員コラム」として、新たな内容でスタートします。どうぞご期待ください。
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企画展「よみがえる正倉院宝物 ―再現模造にみる天平の技―」(8月29日まで)では、インド起源の「五絃琵琶」、中国起源の丸い胴の琵琶「阮咸(げんかん)」、アッシリア起源の竪形ハープ「箜篌(くご)」など、正倉院に伝わる珍しい古代楽器の再現模造を展示しています。展覧会図録に掲載された「模造関連年表」を見ると、これらの再現模造の製作が1890年代(明治20~30年代)に集中して行われたことがわかります。これは、宮内省に正倉院御物整理掛が設置され、宝物の整理・修理・模造が本格的に行われた時期にあたります。
こうした正倉院宝物をめぐる動きは、日清・日露戦争による国家意識の高まりや、文学における浪漫主義的思潮などの時代背景と相まって当時の多くの美術家たちを刺激し、遥かな古代である天平時代への憧れをテーマにした美術作品を数多く生み出しました。
この明治後期の「天平ブーム」の嚆矢といえるのが、藤島武二(1867~1943)の名作《天平の面影》(1902年、第7回白馬会展出品、アーティゾン美術館蔵、重要文化財)です。箜篌を持つ樹下美人を描いた《天平の面影》は、藤島が奈良で箜篌の再現模造を目にして着想を得、同じく正倉院の《鳥毛立女屏風》などを参考に制作されたといわれています。藤島は翌年(1903年)の第8回白馬会展には《階音》と題する、阮咸を奏でる半裸の女性を描いた作品を発表しました。「天平シリーズ」とよばれる一連の作品を描いた洋画家・青木繁(1882~1911)も藤島から影響を受け、箜篌・阮咸の両方を描き込んだ《享楽》(1903・04年、大原美術館蔵)という作品を残しています。
実は、当館で所蔵するコレクションの中にも、阮咸をモチーフにした作品が三点含まれており、現在開催中のコレクション展「近代美術館の名品」(展示室3、8月29日まで)で紹介しています。
高村真夫《春日野》1911年
そのうちの一点が、新潟市で生まれた洋画家・高村真夫(1876~1954)による《春日野》(1911年、第5回文展出品)です。初夏の眩い陽射しの中、天平時代の装束をまとった三人の少女が木蔭で休息しています。題名の「春日野」は、興福寺の東・東大寺の南にある野(飛火野とも)をさし、和歌にも繰り返し読まれた地名ですが、ここに描かれる背景の草原はなだらかに傾斜しているので、若草山の辺りに取材したのかも知れません。
画面中央でまどろむ少女は、摘んできた黄色い花を手にしています。また、画面右に立つ少女は、右手を顔の横に添えています。射し込む陽光が眩しくて手を翳しているのでしょうか。あるいは、遠方から聞こえる何かの音に耳を澄ましているのでしょうか。神秘的な存在感を漂わせる彼女たちの傍らには阮咸が添えられ、観る者の想像をより一層掻き立てています。
なお、《春日野》に描かれた阮咸は、正倉院に伝わる二点の楽器、つまり《桑木阮咸》《螺鈿紫檀阮咸》のいずれとも細部の意匠が異なるため、別の資料をもとに描いたとも考えられます。このことについてはさらなる検証が必要ですが、《春日野》が明治期の「天平ブーム」を受けて制作された作品であることには疑いがありません。
ところで、この作品に込められたもう一つのテーマは、光と影の対比ではないでしょうか。「外光派風」ともいえる明るい色彩と柔らかな筆触が特徴的です。高村は、同じく新潟県出身の洋画家・小山正太郎(1857~1916)の開設した不同舎に学び、師の堅実な写実的作風を継承しました。東京国立博物館が所蔵する高村の代表作、《黄檗の僧》(1907年、東京勧業博覧会出品)や《停車場の夜》(1909年、第3回文展出品)は、小山譲りの暗い色調で描かれましたが、それらに続く《春日野》では進んで明るい色彩を用い、新しい画境を模索していたことが窺われます。
阮咸をモチーフにした残る二点の所蔵品は、村上市出身の彫刻家・山脇敏男(1892~1974)による《和韻》(1932年)と、三条市出身の日本画家・岩田正巳(1893~1988)による《婦人抱琴図》(昭和戦後期)です。正倉院に伝わる古代の楽器は、その後、大正・昭和期にかけても多くの美術家たちのインスピレーションを刺激し続けたということになるでしょう。
企画展「よみがえる正倉院宝物」にご来場の折は、ぜひ「コレクション展」も併せてご覧ください。
(主任学芸員 長嶋圭哉)