学芸員コラム⑮ 雪国は遠くに――風習、風俗と「アート」の狭間に思う。

2022年12月01日

 現在コレクション展示室1で「雪国をえがく」を開催していますが、雪国で育った自分でも年齢を重ねたせいか、雪国の風習、風俗など、忘れてきている、記憶の彼方に行ってしまっていると思えることが多くなってきたように思います。

 同展には、「描く」ということで油彩の栢森義・富岡惣一郎、日本画の小島丹漾を取りあげ、本県に生まれた三人の画家達の、その心象風景や原風景が表された作品を展示しています。ですので、「描く」ではなく「写す」である写真は今回展示していません。しかし、「雪国」と言うと、やはり濱谷浩の「雪国」シリーズが脳裡に浮かびます。そのシリーズ中には上越市の桑取地区の「鳥追い」などの風習が写し出されています。

 小正月にテレビニュースなどでよく、雪国ならではの、桑取地区の風習として取り上げられたりしますが、御多分に漏れず神職のなり手不足や人口減、少子化問題等で開催や継承が危ぶまれています。濱谷の写真では知っていましたが、昨冬、初めて桑取地区を訪れ、濱谷の写したであろう土地を垣間見ました。しかし、写真に見えるような広く見える場所は、西横山地区白山神社周辺や、谷間の桑取川の両岸には見つけられず、なるほど、これは濱谷の写真の撮影の仕方、広角レンズを使い、そして雪の白と闇の黒によって背景を隠す構図で、広い雪原に見えているのだろうと濱谷の写真技術に頷いたのでした。

 こうした雪国の鳥追いなどの風習が、普段の生活の中から縁遠くなっているのは間違いないのですが、風習に近寄った「アート」とされる雪ならではの例を一つ挙げれば、GUN(グループウルトラ新潟)が昭和45年(1970)2月に十日町の信濃川河畔で行った「雪のイメージを変えるイベント」、農薬を畑に撒くように噴霧器でカラー絵の具を噴霧したイベントが挙げられるのではないでしょうか。

 近年、このイベントが評価されて取り上げられることも出てきましたが、噴霧器で農薬を散布するのは農作業では普通の作業。また雪の上に散布する行為を見るならば、雪国では、春、雪を早く消すために雪の上に自宅の囲炉裏や竈などで出た灰をシャベルで雪の上に捲き、日の光の熱を吸収させ、少しでも早く消そうと作業努力したものです。また、GUNのメンバーの一人堀川紀夫の1980年代の《スノーパフォーマンス》の雪の上の人型なども、雪国の子供なら学校の行き帰りや、雪遊びの時に、よくやっていたことで、特段に珍しい光景ではありませんでした。篠原有司男のボクシングペイントではないですが、ロータリ除雪車の通った後の切り立った雪の壁に手袋をした拳で突き、穴だらけにしたり、まだ踏み固められていない雪原に迷路状の道を踏み固めて鬼ごっこしたり、いろいろと犬のように雪まみれになってグラウンドや田んぼの誰もまだ足を踏み入れてない野っ原で、自分も子供の頃、のたうち回っていたものでした。

 しかし、こうしたことは子供の雪遊びの中では、まだ残っているかもしれませんが、普段の生活の中、街場では雪も少なくなってきて、消雪パイプによって直ぐに消されていくし、だいたい囲炉裏や竈がなくなり、また、焚き火も危ないとか、煙で臭いがつくとかでできなくなり、灰が家から出ることなど、暖炉を持つ家庭以外、皆無といってよいでしょう。住環境の変化などで、こうした風習、風俗から縁遠くなってきたように思います。形を変え「アート」という言葉で、その形質が変わりこれからの時代に繋がっていくことしかないのかもしれません。そしてまた、世の中が進歩、発展することは素晴らしいことなのだとも思いますが、雪国の風習、風俗だけでなく、生活の中にあったものが一つ一つ消えていくことは寂しくも思います。仕方の無いことではありますが、身近だったことが「アート」として生活から切り離されていく、「雪国」という言葉でしかないですが、何となく割り切れなく思う気持ちは、「郷愁」なのか、やはり年を取ったせいでしょうか。  (専門学芸員 松矢国憲)

濱谷浩《歌ってゆく鳥追い》昭和15年(1940)

グループGUN《雪のイメージを変えるイベント》昭和45年(1970) 撮影:羽永光利

©Mitsutoshi Hanaga