学芸日誌⑨ 会田誠さんの語る日本美術史

2019年03月08日

 日本を代表する現代美術作家の一人として知られる会田誠さんですが、実は文筆家としても数多くの執筆があり、その内のいくつかは書籍化されています。その分野もエッセイや小説、藤田嗣治論、戦争画を主題とした対談集など多岐に渡っていますが、今回そこに美術評論が加わりました。雑誌『BRUTUS』2019年2月15日号がそれです。題して「現代美術作家・会田誠の死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100/近代から古代まで、会田誠が案内する日本の絵の新しい見方」。雑誌と言っても、全120頁中76頁が今回の特集になっており、全ての作品に長いコメントを寄せていて、まさに会田誠さんによる日本美術史論と言って良い体裁となっています。
 藤田嗣治《アッツ島玉砕》(1943)から国宝《高松塚古墳壁画(西壁女子群像)》(694〜710)まで、近代から古代へと遡行しながら、「戦争」、「異界」、「神仏」、「ヌード」等のテーマで作品を紹介しています。面白いのは「100枚の絵を選んだのは確かに僕ですが、結局ほとんど教科書通りのラインナップなりました」と会田さんが語るように、きわめてオーソドックスな作品が選ばれている点です。会田さんは入門者にとっては実用的だからと述べていますが、会田さんが紹介するのですから、「その代わりに僕のコメントはめちゃくちゃ気味にしました。現代と悪戦苦闘を続けている実作者の心乱れた放言だと、話半分で聞いてください」と述べているように、縦横無尽に作品論を展開しています。
 例えば、高橋由一の《豆腐》(1876-77)を「日本史上最高の油絵」、青木繁《海の幸》(1904)を「これは本邦の最優秀作でしょう。絶頂期、乗ってる証拠ですね」と評したり、横山大観を「天心の憑依に一番成功した人」で「対する洋画には天心に当たる人がいなかった」と誉める一方、戦後の安田靫彦については「もはや〈ヘタウマ〉と呼びたい領域」、尾形光琳には「世界史上屈指の才能ある部分と、大したことない部分が同居している」と述べたり、黒田清輝《智・感・情》(1899)に至っては「鹿児島の人に悪いけど、僕は黒田は褒めません」と前置きした上で、「魂の深いところで絵描きじゃなかったと思う。ただノー・ミスを目指しただけの官僚みたいな絵。そういう男がしょっぱな洋画を率いたという、この国の不幸」と完膚なきまでに叩いています。専門家のみならず、美術愛好家から文句のひとつも出そうな発言かもしれません。
 ところが、本誌を読み進めていくと、逆説的にそれぞれの作家の凄さがわかってくるのが本誌の良さであり、そして、会田さんでなければ書けない本誌の魅力でもあります。無論、会田さんの好き嫌いは真実であり、批判的なコメントも正直な会田さんの気持ちです。しかし、「死ぬまでにこの目でみたい日本の絵100」を選ぶなら、好みや評価を超越しても選ばなければならない作品があることを、本誌は教えてくれているような気がします。事実、会田さんは自身が痛烈に批判する作家も選んでいるのですから。
 本誌のはじめに会田さんは「古い日本の絵をどうみるか。偉そうに言える立場でないですが、一言だけ。〈ネトウヨ〉的になるのだけは避けたいものです。つまり何でもかんでも「日本の絵スゴイ」ではマズい、と。」と述べています。日本美術史で語られる作品はすでに評価が定まっているように見えますが、まず一度その評価をチャラにして自身の目で見てみましょうということです。その上で、日本美術を見る上では、「長所と短所がセットになった〈特徴〉」が重要であり、「良いところだけを見る〈特長〉ではない」とも述べています。
 日本の美術が美しいかそうではないかと言った、表面に描かれたものだけではなく、多様性によって成立してきたこと。そして、見る人によっては、心にささくれを感じてしまうような、必ずしも幸福な出会いとは言えない作品であったとしても、その作品が美術史に存在する意味、あるいは美術館に展示されている意味を、あらためて発見できる本誌となっています。雑誌ですので、ご興味のある方はお早めに。

(新潟県立近代美術館 学芸課長・藤田裕彦)

※『BRUTUS』2019年2月15日号の表紙の掲載につきましては、マガジンハウス社様からのご承諾を頂きました。