この1点⑧ 元日に思う。

2021年01月01日

トピックスでは「この1点」と題して、当館のコレクションについて、「作品解説会」以上、「美術鑑賞講座」未満の少しディープなお話を紹介していきます。

   新年明けましておめでとうございます。
 旧年は、コロナ禍で全国、いや、全世界とんでもない年となりました。特効薬の開発もまだ時間がかかりそうですが、明るい新年となってほしいものです。 
 「一年の計は元旦にあり」と言われるように、一月一日は、誰にとっても特別な日と思われます。この一年どうありたいか、皆さん思い巡らせる日と思います。
 江口草玄のこの書の句の「朔日」は、十二月(つき)のいずれかの朔日のことですが、元日であれば、やはり天気良好、穏やかに迎えたいものです(新潟県では難しいですが)。特別に何かあるようなものでもなく、ちょうどいい肌合いで、青空が広がっていればそれだけで良いという、何とはない句です。
 この句の何気なさが、高貴漂う連綿の平安仮名で書かれず、ぽつぽつと分かち書きで、何とはなしに書かれている、それが草玄のこの〝ことば書き〟の書の魅力だと思います。気取ることのない、普通っぽく見える、しかし、裏打ちされたテクニックが秘められた書ですが、とても身近に感じられます。
 正月というと、皆さん子供の頃、憂鬱にさせられた「書き初め」というものがあります。本来は、新年に初めて筆を使って書くことなのですが、生徒にとっては、冬休みの宿題、規範の形の文字を、規範の永字八法や三節法で、規則正しく書かされる、これで習字が嫌いになる原因ではないかと思います。
 毛筆の毛の弾力や割れ広がり、捻れるという特性に目が(指導が)いかず、単に一技法と形ばかりがとやかく注意されるという、いやな思い出ばかりかもしれません。
 そうした規範性から見れば、この書は、「書き直し!」ということになるでしょう。しかし、この句が規範に則った平仮名や、書道で言う平安仮名の連綿線で書かれたりしたらどうでしょう。身近な人くさい匂いが雲散霧消してしまい、単なる〝お習字〟や、高貴な方々の余所事になってしまいます。
 人それぞれが異なるように、それぞれの人の匂いがする、人くさい書を草玄は、目指していました。だからと言って、鍛練をしないのではなく、その鍛練の中から、独自の血や肉となって獲得していったテクニックを、ひけらかすのではなく、隠し、秘めた書を表しました。
 鍛練すれば凡てよいのではなく、その習字っ気を消さなければ、やはり書としてまだまだと思います。
 既にパソコン、いろいろなPCソフトの開発、そしてAIの進歩と、人が筆を持って書くという行為は古くさいと思われるかと思います。よしんば鉛筆で書くという行為でさえ、学生以外、遠くなってきているのかもしれません。ですが、やっぱり人の手による書き文字の〝人くささ〟を楽しんでいただきたいなあと、「朔日」でもある元日に思うのでした。

専門学芸員 松矢国憲

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江口草玄《あんばいのよい朔日の空》 昭和63年(1988)