この1点② 深澤索一《相撲》で思うこと

2020年06月01日

    トピックスでは「この1点」と題して、当館のコレクションについて、「作品解説会」以上、「美術鑑賞講座」未満の少しディープなお話を紹介していきます。

深澤索一《相撲》で思うこと 

 新型コロナウイルス感染が世界中に蔓延し、2020東京オリンピックも来年に延期され、また、社会的にも緊急事態宣言が発せられ、口々に「ステイホーム」が唱えられ、不要不急の外出も自粛しなければ、と、沈滞、混迷、理不尽な空気も蔓延してきています。
 こんな空気を払拭して、来年オリンピックを延期開催しようとしているわけですが、過去のオリンピックの競技の一つとして「芸術競技」があったことをご存知でしょうか。
 近代オリンピックの理念である「肉体と精神の向上の場」として、クーベルタン男爵の希望もあって肉体表現がスポーツ、精神表現が芸術、として芸術競技が第5回ストックホルム大会から戦後初の第14回ロンドン大会まで7回採用されていました。この内、日本人の参加は、第10、11回の2回のみ、戦争により12、13回は中止、14回は日本は大会に招待されませんでした。
その中で、戦前の開催最後となり、ヒトラーのプロパガンダに利用された第11回ベルリン大会の芸術競技に出品された1点が、この本県燕市(旧吉田町)出身の深澤索一《相撲》です。もう1点、ラグビーを題材にした《タックル》も出品しています。
 このベルリン大会では、次の東京大会に向け、日本選手を多く送り込み、次の東京開催に向けて機運を醸成しようとして芸術競技でも、多数参加し、「絵画」種目の「絵画」部門で藤田隆治、同種目の「素描」部門で鈴木朱雀がいずれも銅賞受賞しています。
 相撲はオリンピック競技ではありませんが、明治42年(1909)両国国技館が完成し、〝国技〟とついていたことから、国技として広まりますが、東京大会に向けて、索一も国技である相撲を国威発揚の一つとして制作したのかもしれません。《タックル》と共に肉体のぶつかり合い、索一の作品の中では珍しく動的な作品です。
 索一の生涯の作品を見渡すと、時代の風潮を素早く捉えて、作品に活かした感があります。この《相撲》にもその傾向が垣間見えないでしょうか。
 しかし、索一のオリンピックへの協力もむなしく、紀元二千六百年となる昭和15年(1940)の東京大会は、日中戦争から開催返上、ヘルシンキ開催となりますが、それも第二次世界大戦により中止となってしまいます。
 そして日本初の東京オリンピックは昭和39年(1964)を待たなければなりませんが、このポスターを制作し、一躍脚光を浴びたのが、やはり燕市(旧吉田町)の亀倉雄策でした。
 さて、2021(0?)東京オリンピックでは、本県の誰を取り上げられるようになるでしょうか。

専門学芸員・松矢国憲

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深澤索一《相撲》1936年 木版、紙