この1点⑬ 阿部展也《作品B》(1962年)にみる「0」の謎 

2021年06月13日

トピックスでは「この1点」と題して、当館のコレクションについて、「作品解説会」以上、「美術鑑賞講座」未満の少しディープなお話を紹介していきます。

 

 五泉市出身の阿部展也(1913-71)は戦前から活躍し、1937年に出版された瀧口修造との共作詩画集『妖精の距離』で一躍注目を集めました。独学で絵画を学び、初期にはシュルレアリスムの影響の色濃い作風で制作していましたが、従軍したフィリピンでの体験を経て、戦後は次第に人間を極端にデフォルメした作風へと変化していきます。それらの人物像は、時には異国の植物や異界の生物のごとく、時には飢えて衰えていく人間の屍のごとく描かれていますが、人間というモチーフに対する一貫した関心をうかがわせます。一方で、生来のカリスマ性と戦中にフィリピンで身につけた英語力を武器に、阿部は国内外の同時代美術をいち早く研究し、美術理論を発信する役割を担っていきました。そうした中で務めた日本美術館連盟の代表として、あるいは国際造形芸術連盟の総会に出席するため、1953年以降、インドや欧米などの国々を訪問し、独自の芸術論を確立していきます。

  1957年に初めて欧州を訪れて以降、阿部は多くの時間を海外で過ごすようになり、ついに1962年にはイタリアのローマに単身移住します。その間に彼の作品も大きく変化しますが、この時期の作風を決定づけているのがエンコースティックによる有機的な抽象画です。エンコースティックとは蜜蠟と顔料を混ぜてバーナーやコテなどで加熱しながら画面に定着させる古代の絵画技法で、これによって絵肌に深い凹凸を与えたり、あるいは別の素材をコラージュすることで、豊かなマチエールを生み出すことができます。エンコースティックを使った作品は1959年より制作が始まり、ローマ移住後の1962年冬には「scrittura in bianco」と題された一連の作品がミラノの個展で発表されました。それらは白を基調とした画面に無数の細かい凹凸がランダムに描かれており、表面の白の下から重ね塗りされた黒い層が見え隠れして、古く薄汚れた壁のような風合いを作り出しています。

阿部展也《作品B》1962年

 当館所蔵の《作品B》*は、新潟市美術館所蔵の《scritura in bianco》とサイズも構図もほぼ同じため、同じシリーズとして制作されたと考えられますが、この二つの作品を並べてみると面白い事実に気が付きました。どちらも画面中央に「0」の形が浮かび上がっていますが、《作品B》では中央に一列で5つ並んでいるのに対して、新潟市美術館の《scritura in bianco》では左右両端に分かれて(左に4つ、右に9つ)同様に一列で並んでいます。これら2つの作品を重ね合わせてみると、「0」がほぼ一直線上に繋がるように描かれていることがわかります。これがどのような意味を持つのかは今後の調査に持ち越しますが、阿部にとって「0」という数字が様々な意味を持ち、重要な記号であったことは明らかです。空や無をあらわす記号としての数字のゼロ、口や女性器をあらわすシンボル、さらに彼がこの時期に深く交流していたドイツのグループの名前も「ゼロ」でした。

 阿部展也作品における「0」の謎は、まだまだ解決されていないようです。

(主任学芸員 濱田真由美)

 

*本作の画面裏には「N. Abe 1962 ROMA」と署名があるのみでタイトルは記載されておらず、1974年の神奈川県立近代美術館の回顧展ではタイトルは《作品》でした。その後、当館に収蔵された際に現在の《作品B》というタイトルが採用されたと考えられますが、詳細は不明です。