この1点⑩ 《鳥屋野潟冬景色》に関連してー旅の画家・石井柏亭と新潟

2021年03月02日

 トピックスでは「この1点」と題して、当館のコレクションについて、「作品解説会」以上、「美術鑑賞講座」未満の少しディープなお話を紹介していきます。

 今回のコレクション展「水彩画の世界」で紹介している石井柏亭(1882-1958)。彼が生涯に描いた作品は6千点以上にのぼるとされ、その殆どが風景画。日常的に国内各地に旅に出て絵を描いた、まさに“旅の画家”でした。
 柏亭はここ新潟にも度々足を運んでいます。柏亭がはじめて新潟を旅したのは、1922年(大正11) 41歳の時のことで、夏に佐渡を訪れています。佐渡の景観は明治大正に入ってから一層注目され、美しい景色を求めて多くの人々が訪れるようになっていました。柏亭はこの旅を契機に制作した《小木港俯瞰》《佐渡の或港》といった作品を、同年開催の二科展に出品しています。
次に柏亭が新潟を訪れたのは、1933年(昭和8)。《加治川の桜》《両津港》《加茂湖と金北山》《矢島経島》・・・といった新潟・佐渡の観光地や景勝地を多数描きました。これらの作品は国府犀東著『佐渡と新潟』巻頭に収録されており、当時この本を手に取って旅情に誘われた人もいたことでしょう。

 柏亭と新潟の縁はこれだけにとどまりません。
 1943年(昭和18)、柏亭は東北を訪れたことを契機に松尾芭蕉の『奥の細道』を偲び、その足跡を辿って紀行文『奥の細道をゑがく』を記します。時代は戦中。国民服を纏い、「敵性とは云ひながらこれに代るものゝない」リュックサックに荷物を詰め込み、黒羽から、那須野、白河、松島などを経て、鼠ヶ関と、芭蕉の道程を辿りながら、各地の風景を描きとめます。
鼠ヶ関を訪れた柏亭はその足で、最後に新潟へ立ち寄ります。新潟で制作は行わなかったようですが、現地の文化人たちと交流する様子が詳細に綴られています。画家の北島吾二平(吾治平)や、旧新潟県展審査員を務めて以来親交の深い諸橋政範らに迎えられ、民俗学者・小林存と面会したり、医師で俳人の高野素十夫妻に旅の中で描いた絵を披露したりして、帰京前のつかの間の一日を過ごしました。

 戦後、柏亭は新潟大学教育学部の講師に就任し、集中講義を担当しました。この間柏亭はまた何度も新潟を訪れるようになります。
今回のコレクション展で紹介している《鳥屋野潟冬景色》はこの頃に描かれた作品で、冬の鳥屋野潟に水鳥が遊ぶ様子を描いた墨画です。簡潔な筆触と限られた色彩が、冬枯れの寂寥感を漂わせます。
 この作品は、親しかった諸橋政範を伴って写生したもので、その後諸橋に贈られたというエピソードがあります。現在は市街地に接する鳥屋野潟ですが、この絵の中では、周りには何も無く、遠く霞む弥彦山と角田山を見渡すことができます。当時の潟周辺の様子を偲ぶことができるだけでなく、旅の画家・石井柏亭と新潟のつながりを語る貴重な作品と言えるでしょう。

主任学芸員 伊澤朋美

画像

石井柏亭《鳥屋野潟冬景色》1955年(昭和30)