学芸コラム37 日本工房の面影―銀座と亀倉雄策

2025年03月12日

お正月に、何気なくNHKの番組「新日本風土記~東京モダン 銀座界わい」を見始め、途中でぐっと引き込まれてしまいました。番組では、関東大震災からの復興期に建てられ、今も使われている銀座周辺のいくつかの建築物が紹介されていたのですが、その中に、かつて「日本工房」が入居していたというビルが取り上げられていたからです。文献で何度かその建物の名前を目にしていたものの、お恥ずかしながら、現存しているという事実を知らずにいました。

「日本工房」は、ドイツで報道写真の方法論を身につけた名取洋之助(1910-1962)を中心に1933年に組織された制作集団の名称です。1945年の解散まで、国際文化振興会や内閣情報部などの発注によるグラフ誌の刊行や写真壁画の制作などを行いました。中でも特筆すべきは英、独、仏、スペイン語による対外文化宣伝グラフ誌『NIPPON』です。1934年に創刊された『NIPPON』は、戦局が進むにつれ国策宣伝の性格を濃くしていった刊行物ではありましたが、名取の指揮のもと、海外の最新動向を意識した斬新なレイアウトと質の高い写真で構成され、日本のグラフィック・デザインの新たな段階を示すものでした。

『復刻版『NIPPON』第2期』(2002年 国書刊行会)より。第19号、第24号(いずれも表紙構成:亀倉雄策)

この日本工房に在籍していたのが、新潟県燕市出身のグラフィック・デザイナー、亀倉雄策(1915-1997)です。

亀倉が日本工房に採用されたのは1937年、22歳の時。入社試験として、ドイツ・ライプツィヒで開催の「日本の日用工芸品展」のパンフレットをデザインしたことを皮切りに、『NIPPON』をはじめ、『NIPPON』の中国版ともいえる『CANTON』、タイ語のグラフ誌『カウパアプ・タワンオーク』などのデザイン・編集に携わりました。その他工房には、土門拳や藤本四八、山名文夫、河野鷹思、熊田五郎など、のちに戦後の写真界、グラフィック・デザイン界をリードすることになる才能豊かな人々が在籍していました。

番組で紹介されていたのは銀座1丁目にある「鈴木ビル」。1929年に竣工された5階建ての建築物です。1階円柱に取り付けられた幾何学柄のレリーフや外壁に使われたスクラッチタイル、内部の壁に用いられた布目タイルなど、装飾性を重視したアールデコ様式のビルで、東京都の歴史的建造物にも指定されています。日本工房は1938年4月にこのビルに入居、同年5月には「国際報道工芸株式会社」と改組・改称し、終戦までこの場所で活動しました。

番組を視聴後、当館に所蔵されている亀倉旧蔵の戦前の写真を見返していると、日本工房時代に撮影されたと思われる1枚の写真に目が留まりました。「国際報道工芸株式会社」という会社名が入ったポスト脇に立つ亀倉雄策が写っていますが、背後の壁に、番組で紹介されていた「布目タイル」が写っていたのです。何度も見ていた写真でしたが、タイルに注目したのはこれが初めてでした。

これは是非、現地で確かめなくてはなりません。ビルを管理している方にご連絡がとれ、ビルの立ち入りと撮影の許可をいただくことができました(許可のないビルへの立ち入り・撮影はできません)。

   

鈴木ビルの正面外観です。最上階の窓は馬蹄形、そのほか形の違う窓が左右非対称に配置されています。表面に凹凸を施したタイルが外壁に落とす柔らかな陰影、1階の円柱の幾何学模様と金色のレリーフも目を惹きます。

 

もとは、歌舞伎などの公演や稽古のために部屋を貸し出していた建物でしたが、社員が増え、それまで入居していた交詢ビルの部屋が手狭になったと感じていた名取に、鈴木ビルへの移転を進言したのはグラフィック・デザイナーの河野鷹思(1906-1999)だったそうです。河野は舞台美術の仕事もしており、そのネットワークから、このビルに空きが出ることを知ったのでしょう。

ビルに入ると、番組でも紹介されていた「布目タイル」が早速目に入りました。その名前のとおり、布目でつけられた凹凸に、朱、黄、紺を重ねた波のような模様が重なっており、1枚ごとに表情が異なります。

   

当館所蔵の写真を現地で見比べ、壁の電源の位置から撮影された場所も特定できました。社名の入った郵便箱は亀倉のデザインによるもので、設置の記念として撮影されたのかもしれません。日本工房がこの鈴木ビルに移り、国際報道工芸株式会社と改称した頃、亀倉は、中国での仕事に邁進し日本を留守にしがちだった名取に代わり、制作の技術的なことをほぼ任されている状態だったといいます。

     

布目タイルが貼られているのはビルの入口付近ですが、ご厚意で他のフロアも見せていただくことができました。

   

入口から少し階段を少し上った1階フロアの壁面に、券売窓口を思わせる小さな窓が2か所ありました。また、2階に上がる階段は2つあり、それぞれ上がってみると同じ場所に通じています。見学に立ち合って下さったビル管理の林さんは、公演などがあった時に、お客を二手に分けて誘導する、などの必要があったからではないか、と推測されていました。建築当時のビルの機能が垣間見えるようでした。

 

ビル内には現在、書店、映像制作会社、建築設計事務所など、クリエイティブな業種の会社が複数入居しているそうですが、その中の1社、オフィスアイ・イケガミで代表取締役を務める石田徳芳さんの仕事場も見学させていただきました。

 
 オフィスアイ・イケガミ代表取締役の石田徳芳さん。ビルの中2階の部屋がご自身の仕事場です。
  

歴史を感じさせる重厚な外観からは想像できない、明るい印象の室内に驚きました。仕事場としての機能を十分に確保しながら、出窓や円形窓の内側にステンドグラス調の加工をするなど、建築のもつ美しさをさらに引き出す工夫をされていました。石田さんだけでなく、他の入居者の方々も、100年近いこのビルの歴史に敬意を払いながら、それぞれの居室を魅力的にアレンジし、使い続けていらっしゃるとのことでした。また、グラフィック・デザイナーでもある石田さんは、亀倉が全国のデザイナーに参加を呼びかけ創立した日本グラフィックデザイン協会の会員とのことで、不思議な縁を感じる、と話されていました。

 

ビルの反対側の窓下には首都高速が見えます。ここにはかつて築地川が流れており、1キロほど離れた歌舞伎座から舟で運ばれて来る貸衣装や荷物をそのまま運び入れることができたそうです。日本工房の役員を務めた飯島実の回想によれば、終戦後まもなく、陸軍省報道部からの指示があり、工房のカメラマンたちが生命を賭して撮影した戦時中の報道写真は、木箱に入れてこの川に捨てられたとのことでした。

当館所蔵の亀倉関連資料の中に、「国際報道工芸株式会社」という印が押されたアメリカのファッション誌の表紙が数枚あります。これらは廃棄の対象外だったのでしょう。仕事の参考にするため、亀倉が切り取って手元に保管していたのかもしれません。

   
  雑誌『ハーパース・バザー』1940年6月号、12月号、1941年3月号の表紙    

残念ながら、亀倉が残した膨大な資料の中にも、日本工房時代の資料はあまり含まれていませんが、戦前からの姿を今に伝えてくれる鈴木ビルと残された資料とがつながり、当時の様子が立体的に浮かび上がってくるように感じました。

ビルがこの先も銀座の一角で歴史を刻んでいってくれるよう願うばかりです。

さて、ここまでは鈴木ビルのご紹介でしたが、おまけにもう一つ、日本工房の面影を伝える銀座の建築物をご紹介します。銀座6丁目にある交詢ビルです。交詢ビルは、鈴木ビル同様、1929年竣工の建築物でしたが、2004年に老朽化のため建て替えが行われ、現在はファサードのみが残されています。鈴木ビルに移転する前の1934年から1938年にかけて、日本工房はこのビルに入居していました。

 
交詢ビル(銀座6丁目) 

また、ここでは詳しく触れることはできませんが、亀倉がバウハウス流の抽象構成理論を学んだ川喜多煉七郎(建築家)主宰の「新建築工芸学院」も交詢ビルに程近い、銀座7丁目にありました。

交詢ビル時代の日本工房で撮影されたと思われる写真も当館に何点か保管されています。ここでは2点、交詢ビル前の亀倉と高松甚二郎(グラフィック・デザイナー 1912-1994)、そして、工房内の亀倉と河野鷹思の写真を紹介します。

   

撮影やレイアウトの練習のために、時にふざけ合いながらお互いを写したこれらの写真からは、工房に集まった若き才能たちの活気あふれる様子が伝わってきます。

そして、工房を指揮した名取洋之助について、亀倉は以下のように回想しています。

夕方の五時に帰ろうとすると、「亀倉」と呼びつけられる。「何ですか」と言うと、「おまえの仕事はよくない。なってない。」と難くせをつける。しばらくお説教が続き「どうだい、今日は俺と付き合って少し勉強したらどうだ」と言い、徹夜が始まる。ほかの社員は帰るが、私一人が捕まった。(白山眞理『名取洋之助―報道写真とグラフィック・デザインの開拓者』(2014年 平凡社) p.149)

 

やり直すとまたダメをだされて最初から、という賽の河原のような指導を行う名取に対し、亀倉は、時に反発を感じながらも、その方法論を余すところなく学び取っていったのでした。

戦前の面影が残る銀座界隈。激動の数年間をここで過ごした彼らの様子を思い浮かべることができた1日でした。

(近代美術館 専門学芸員 今井有)

見学をご許可くださった鈴木ビルディングオーナー・鈴木喬雄様、取材にご協力下さった鈴木ビル総合アドバイザー・林和男様、オフィスアイ・イケガミ代表取締役・石田徳芳様、オフィスアイ・イケガミの皆様に、この場をお借りして御礼申し上げます。

 

[参考文献]

  • 三神真彦『わがままいっぱい名取洋之助』(1992年 筑摩書房)
  • 白山眞理『名取洋之助―報道写真とグラフィック・デザインの開拓者』(2014年 平凡社)
  • 「名取洋之助と日本工房[1931-45]」展覧会図録(2006年 毎日新聞社)
  • 亀倉雄策(著)、川畑直道(編)『亀倉雄策』(2006年 DNPグラフィックデザイン・アーカイブ)

[ご案内]新潟県立近代美術館 コレクション展示室3で「亀倉雄策と時代を拓いた作家」を開催中(~2025年3月30日)