学芸員コラム㉛ 作品をだれかと一緒に観る

2024年03月25日

唐突ですが、皆さんは、展覧会を「だれかと一緒に観る派」ですか?それとも「ひとりで観る派」ですか?

そんなことを聞いておきながら特にどっち派でもない私ですが、美術史を学んでいた学生時代から学芸員として働く今日までを振り返りますと、どちらかといえば展覧会はひとりで観ることが多かったように思います。厳密に言えば、展示室に入るまでは誰かと一緒でも、中に入ればひとり。こだわりはありませんが、それぞれ観るペースも、お気に入りの作品も違いますから、ひとりで作品の前にいた方が気を遣わずに済む、というのが現実的な理由のような気がします。とにかく、静かに、誰にも邪魔されずにじっくり。それが「ひとりで観る」ことの良さでしょう。

さて、長らく「ひとりで観る」ことに慣れてきたわけですが、最近は「だれかと一緒に観る」ことにこれまでとは違う興味を持つようになりました。きっかけは、対話による鑑賞(対話型鑑賞)を知ったことです。何年か前から本で知識を得たり見学に出かけたりしていましたが、今年度から近代美術館の勤務になり、コレクション展を訪れる学校団体の皆さんと一緒に展示作品を観る、または出前授業を担当する、などの機会をいただくようになり、その楽しさにはまりつつあります。

先日も県内の小学校から6年生の皆さんがコレクション展の見学に来てくださいましたので、展示室にある2つの作品を一緒に観ることにしました。

まずは新潟出身の画家・小島丹漾の作品です。キャプションに書いてあるタイトルを隠し、作品に描かれているものをじっくり観てから、見つけたものをみんなで共有していきます。

「たくさん人がいる」「奥の暗いところにもたくさん人がいるみたい」「頭になんかかぶってる。防災頭巾?」「着ているのはマント?」「人だけでなく、柱みたいなものもある」

「魚を持っている人がいる!」「何の魚?」「いわし?」「サバ?」「ししゃも?」「ししゃもにしては大きいね~」「サケ?」「釣りの帰りかな」

「荷物を背負っている人がいるね」「何を担いでいるのかな」「とうもろこしに見える」「カニの足に見える」

「季節はいつかな?」「たくさん着こんでるから冬」「今の時代を描いたもの?」「服装が違うから昔」

たくさんの発見があります。途中で作品のタイトルが《待つ》であることをお知らせします。

「何を待っているのかな」「左に線路みたいなものが見える」「駅じゃないかな」「駅だとしたら電車かな」

「待っている人はどんな気持ちだろう」「寒くてつらい」「早く電車来ないかな」「みんなどこに行くのかな」「家族に会いにいくんだと思う」

描かれた光景を観察したり、中の人物の気持ちになったり。誰かの意見に「なるほど」と思いながらみんなで作品をよく観ることができました。

 

もう1点、ドイツの作家ケーテ・コルヴィッツの彫刻を鑑賞しました。

「何人いる?」「3人。大人と子ども2人」「大人は男の人?女の人?」「手と足がすごく大きいから男の人じゃないかな」「子どもを抱っこしているから女の人かな」

彫刻の人物と同じポーズもしてみました。

「結構苦しいポーズだね」「足の向きが違うよ、こうだよ」「2人も抱っこできそうにないね」

「抱っこされている子どもはどんな気持ちかな」「きつい」「苦しい」「あったかい」「安心」「うれしい」

それぞれ自分自身の体験から、いろんな言葉が出てきました。

みんなで作品を観る。見つけたこと、感じたことを伝え合う。このような鑑賞で一番私が面白いと感じるのは、それぞれの認識や感じ方の違いです。自分が何気なく「人の姿」と判断していたものが、別の人によっては「動物」に見えていたり、「笑っている顔」だと思っていたら「泣いている顔」に見える人がいたりして、自分の判断や思い込みは何から来ているのだろう、と気づかされることがしばしばあります。そしてこの「気づき」は同じ作品を観ながら誰かと言葉を交わさない限り得られないものなのです。

異なる意見に出会い、共感はできないかもしれないけれど、そんな別の見方もあるのだと知ることで、自分の世界がちょっとだけ広がる。誰かと作品を観る楽しさはそんなところにあるのではないかと思っています。

「ひとりで観る派」の皆さん、時には誰かと一緒に作品の前に立って、お互いの感想を話してみてはいかがでしょう。新たな発見があるかもしれません。

(専門学芸員 今井有)