学芸員コラム㉖ 120年前、ベルギーに留学した彫刻家・武石弘三郎が見ていたかもしれない、ブリュッセルの街並みとロダンの初期作品について(3)

2023年10月19日

 アンスパック大通りにある、ロダン作品で飾られた建築物を写した絵葉書を探索している中で、格好のものを発見しました[図1-1]。33-35番地の建物を単独で写しており、ロダン作の3体の姿もはっきりとわかります[図1-2]。

[図1-1] [図1-2]

 絵葉書の左上説明には「クレディ・リヨネ アンスパック大通り35番地」とあります。アンスパック大通り33-35番地に位置していたのは、フランスを代表する銀行の一つ「クレディ・リヨネ」だったのです。1870年代には意欲的に世界各地へ支店を展開し始めていた金融機関は、ブリュッセルでは新設の大通りに目をつけ、竣工間もない建物で支店の営業を開始したわけです。大通りに向けて張り出したアーケードがあり、しっかりと「CREDIT LYONNAIS(クレディ・リヨネ)」と社名が読めます。その上部中央にはロダンの女性像を遮るかのように、大型のメダイヨンが掲げられています。
 通りを行き交う人々の眼には、ロダンの彫刻よりも、この標章が飛び込んできたことでしょう。2回目の稿の冒頭に紹介したピエロンの図版[図2]は下から見上げたものですが、銀行のメダイヨンが写り込んでいません。なので、33-35番地のこちらの建物ではなく、37-39番地のものであると思われます。

[図2]

 銀行外観を伝えるこの絵葉書には、好都合なことに通信面に消印が3つありました。差出人が投函した「ゲント1905年5月26日」、経由地の「ブリュッセル 5月28日」、そしてフランスに住む宛名人の居住地「ヴィルモンブル 1905年5月29日」です。このことから、1905年5月26日の投函以前に作製された絵葉書と判ります。が、写真の撮影年となると、どこまで遡れるのか見当がつかないことに変わりはありません。建物竣工の1875頃以降で、投函された1905年5月以前までのどこかの時点と、約30年の開きを含んだ極めて緩い回答になってしまいます。手前に大きく写り込んでいる男性の服装(山高帽?)などを手掛かりに服飾の流行を追うなど、時代を特定していく方法はあると思うのですが、稿者の手には余ります。

 更に探してみると、少しばかり撮影位置の異なるものがありました[図3-1]。こちら、画面下の説明に「ル・ファール [灯台もしくは車のヘッドライトの意]」なる会社の本社事務所と記してありますが、絵葉書ではなく生命保険や年金を取り扱う保険会社の案内のカードでした[図3-2]。顧客の人生行路を明るく照らさん、というのが社名の意図でしょう。先の絵葉書の拡大図でもそうでしたが、カリアティードたちが支えている3階バルコニーに、その社名が大きく読め、その下にも何か書いてあるようです[図3-3]。これら絵葉書の写真の解像度は高く、かなりの拡大に耐え得るのですが、さすがに銀行入口両脇にはある掲示物らしきものの文字情報までは読み取れません。

[図3-1]  [図3-2]

[図3-3]

 同様の絵葉書がまだありました[図4-1]。説明では「ブリュッセル―ル・グランド・ホテル、アンスパック大通り」となっていますが、明らかに写っている中心は「クレディ・リヨネ」です。こちらの消印も、偶然の一致で1905年でした。拡大してみると、人々の服装も、先ほどの絵葉書の中に見られる人々と大差ないようです[図4-2]。これら絵葉書の元になった写真は同時期の撮影かもしれませんが、確かなことは言えません。

[図4-1] [図4-2]

 また別の絵葉書も紹介してみます[図5-1]。上部説明には、アールヌーボー風の柔らかな書体で「ブリュッセル―アンスパック大通りのル・グランド・ホテル」とあり、画面は題名どおりにホテルを中心にしています。なので、銀行の建物は左側に一部見えているにすぎないのですが、端にかろうじて1体のアトラントが写り込んでいるのが確認できます[図5-2]。

[図5-1]  [図5-2]

 こちらも使用済みで、差出し日付の消印は「ブリュッセル 1909年6月30日」でした。しかしながら、繰り返し述べてきましたが、消印は、それ以前の撮影であることを明かすだけで、正確な撮影年を伝えてはくれません。こちら図5の絵葉書の写真のほうが、図1、3、4の写真より早い可能性もありうるわけです。

 改めて「ル・グランド・ホテル」と説明のある絵葉書を探してみると、アンスパック大通りとグレトリー街との交差点西側の両角地が一緒に写り込んでいる作例が見つかりました[図6-1]。また、元の写真素材は同一なのですが、人工着色を施したものもありました[図7]。

[図6-1]

[図7]

 こちらの絵葉書では画面左端に覗いているのが、37-39番地の建物で、拡大してみると、何とかロダンの作品が認識できます[図6-2]。アーケードには「…ANT DU PARC AUX HUITRES (牡蠣の養殖場から……)」とありますので、1階で営業していたのは、牡蠣料理などを提供しているレストランか、カフェだったのでしょうか。アーケード下、アンスパック大通りに面した路上には客席がしつらえられているように見えます。

[図6-2]

 それ以上にこの絵葉書の写真が興味深いのは、33-35番地側の銀行にも、また隣接しているホテルにも、布製かと思われる日除けしか据え付けられていない事実です。道路から見上げた時にロダンの作品を見えにくくしていた、大きなメダイヨンを載せた堅固なアーケードは、まだ設置されていないのです。となると、本稿の前段で紹介してきた絵葉書の写真よりも早い時期の撮影と考えるのが自然に思われます。

 今回ご覧いただいた、ロダンの作品を擁する建物の見られる絵葉書の数々ですが、現状ではどれ一つ撮影年を断定できないままです。なので、これら街景を「武石が見ていた」とは言い切れません。雰囲気を感じ取るのが、せいぜいのところです。
 120年前の、遥か東方からやって来た留学生の目を追体験するのは、なかなか困難です。

[次稿に続く]

(館長 桐原 浩)