学芸員コラム㉕ 120年前、ベルギーに留学した彫刻家・武石弘三郎が見ていたかもしれない、ブリュッセルの街並みとロダンの初期作品について(2)

2023年10月02日

 武石弘三郎がブリュッセルに到着した1902年は、市中心の目抜き通りであるアンスパック大通りが整備されてからほぼ30年になろうかとする頃に当たります。当時のブリュッセル市民は、この大通りにあったロダンのカリアティードをどのように見ていたのでしょうか。
 「ブリュッセルで見られるロダンの最高傑作は、グレトリー街とアンスパック大通りの交差する西側両角に位置する二つの建物のバルコニーを支えている6体のカリアティードである。」
 このように記したのは、ベルギーの文筆家サンデル・ピエロン[1872-1945]で、1903年に発表した「ブリュッセルにおけるフランソワ・リュードとオーギュスト・ロダン」と題した長文の論評の中で、このようにロダンの作品を称揚していたのでした[Sander Pierron, François Rude et Auguste Rodin à Bruxelles, Etude d’art, Bruxelles : Xavier Havermans, 1903, p. 35]。この論文には、先に引用した記述があるのとは別頁ですが、小さな図版も添えられていて、当時の姿を確認できます[図1][前掲論文、p. 13]。ただ、美術家について論じている文章なので、作品を含めた建物外観や街の雰囲気などを伝える図版は掲載されていませんでした。

[図1]

 ロダンのカリアティードが設置されている当時のブリュッセルの街並みを窺わせる写真はないのでしょうか。今回改めて探索し始めてから、絵葉書の存在に気づきました。当時のアンスパック大通りはブリュッセルの中心街でもあり、活気ある様子を伝えるものが多数残されており、中古品市場で入手することが可能です。それらに当たれば、ロダン作品が写り込んでいるものもあるはず。そう思って捜索してみると、目論見どおりに幾つかの絵葉書が見つかりました。
 まず初めに、次の葉書をご覧ください[図2-1]。左端の建物の2階部分に3体が並んでいるのがわかるでしょうか[図2-2]。

[図2-1]

[図2-2]

[図3]

 ただ、前稿で紹介した写真図版の建物ではないことにすぐに気がつくと思います[図3]。先の図版では、建物に向かって右側にはグレトリー街が通っていますが、今回紹介する絵葉書では、建物が連なっています。ここで思い出してほしいのは、最初に引用したピエロンの文章にあるとおりで、交差点の両角の建物に計6体の作品があったということ。即ち、3体一組の作品は2対ありました。今回紹介している絵葉書は、アンスパック大通り33-35番地の建物が写り込んでいるものなのです。因みに、こちらの絵葉書に見える33-35番地の3体は第二次世界大戦を乗り越えて残存していたのですが、1953年に建物を改築する際、解体作業で大きな損傷を受け、断片としてブリュッセル市建築課に保管されていたそうです。そして、1962年の展覧会に出品されたのですが、その後、保管倉庫の火事により焼失したと言われています。
 絵葉書に戻りますが、下部の説明には「ブリュッセル ル・グランド・ホテルとアンスパック大通り」と記され、ロダン作品のある33-35番地の建物に隣接するホテルのほうが主題になっています。当時の宿泊者もしくは観光客に向けた一過性の商品だったかもしれませんが、今となっては、過ぎし日の街の姿を伝える貴重な情報源です。大通りの反対側の建物や道行く人々の様子も活き活きと窺え、通りに落ちている影の向きを考えれば撮影時間が推測できますし、それらの長さまで分析すれば季節までも特定できそうです。なんだか、その時代を旅行している気分になります。
 ただ、惜しむらくは、撮影年が特定できません。説明書きに続く「ND」とは、「no date」で撮影年不詳の意でしょうか。あるいは、撮影者もしくは権利者を示すイニシャルでしょうか。せめて通信文の日付や消印など多少の手掛かりがあればよいのですが、これは未使用の絵葉書でした。画面に写るものを手掛かりにすべく考えてみると、判り易いのは乗り物で、馬車だけでなく、トラム(路面軌道車)が目につきます。しかし、19世紀末には既にトラムの路線がブリュッセル市街を走っていました。より目を凝らすと、奥手には自動車が写り込んでいます[図2-3]。

[図2-3] 
 このタイプの自動車は、いつの時代の型になるのでしょうか。自動車の型や歴史を調べつつ、他の絵葉書を漁っていると、同じ写真を用いた絵葉書で、使用者の書込みがあるものを見つけることができました[図4]。

[図4]
 青いインクで「1913年11月27日」と日付が書き込まれています。なので、少なくもこの日付以前に絵葉書が製作されたことが判ります。ですが、素材写真の撮影年はいつまで遡れるのかと問われると、答えに詰まります。問題を解く鍵は自動車にありそうですが、調べが及びません。[次稿に続く]

(館長 桐原 浩)