新潟県立近代美術館

学芸員コラム43  (ひそやかに)笑みを浮かべるフェリックス

2025年12月25日

 2025年がもうすぐ終わります。今年生誕160年にして没後100年だったのが、フェリックス・ヴァロットン[1865-1925](図1)。ナビ派の一人で、スイス出身ゆえに仲間内では「外国人のナビ」と呼ばれていました。当館でも木版画やポスター、当時の定期刊行物等を収蔵しています。それら所蔵品をコレクション展で公開する機会を逸したので、本稿で作家のある一面を指摘し、作品を紹介したいと思います。
 それは「笑い」です。といっても、その笑いは「ほほえましい」というほど温かくもなく、「おちゃめ」では軽すぎます。戯画的でありながら、あからさまに揶揄や嘲弄を志向するのでもありません。「ユーモラス」と形容するには、毒気や棘も仕込まれていて、単純ではないと感じます。素朴で無邪気な好奇心に根差しているようでいて、社会批判的な視線を覗かせるところもあり、様々なグラデーションがあります。隠し味が紛れていて、味わいは複雑です。
 本コラムの題名はかなりの苦し紛れの結果で、自画像などの肖像や写真ではあまり感情が窺えないヴァロットンが(図2)、街角で絵になる対象を見つけた時、あるいはよい構想を思いついたとき、思わず浮かべた(かもしれない)表情を勝手に想像して、このような題をつけてみました。
 そのときのヴァロットンの笑みは、敢えて言えば「ほくそ笑む」に近いかもしれません。「ほくそ笑む」の意味を『広辞苑』で確認すると、「物事がうまくいったとひそかに笑う」とあり、少し違うなと感じざるを得ません。が、一説には、「人間万事塞翁が馬」の故事にも関連しているとも。北叟[ほくそ]、即ち塞翁は、世の幸不幸を達観してどんな事態に遭遇してもかすかな笑みを浮かべていたと……。
 ヴァロットン作品に見られる笑いはややそれに似て、物事を静かに観察して見つけた面白みに由来するようです。対象に共感したり没入したりせず、達観というよりは傍観者として距離を置いて見てしてしまう感受性。フランス語圏であっても別の文化に育った人間だからこそ、パリの街頭や社会風俗にちょっとした違和感やおかしみを感じ取るのでしょう。笑いが伝染ってくるのか、作品を見た我々も少しだけ頬を緩ませます。
 そうした一面がより顕著なのが、雑誌に発表された挿画作品です。挿画は、芸術家としての地位確立を目指してサロンなどの展覧会に発表される油彩画や彫刻、版画と違って、一般的にだいぶ低く格付けされています。基本的に商業ベースですし、実際に、作者の直接的関与が及ばない印刷製版の過程があるため、評価し難い分野でもあります。そして、主題の選択や表現方法には編集者の意向なども含まれているかもしれません。注意は必要です。
 雑誌の挿画は、パリで生活する「異邦人」が生計を得るために何より必要なものだったはずです。ところが、単なる手段の枠を超えて、生き生きとした魅力あふれるものが多いのが、ヴァロットンの挿画です。何より作者自身が楽しんで描いていたように感じられます。
 故郷であるスイスのローザンヌを出て、美術の都パリに移ってくるのが1882年1月、16歳になって間もない時。アカデミー・ジュリアンに入学して画業を学び、翌83年には美術学校の入試にも合格。その後レンブラントなど古典絵画を模写してエッチングを制作するなどして修行し、一方でサロン出品作などの翻刻も行っていました。
 例えば、『絵画彫刻サロン名品選 第11年次』(書物愛好家書肆、パリ、1889年)に掲載の、パスカル=アドルフ=ジャン・ダニャン=ブーヴレ[1852-1929]《パルドン祭りのブルターニュの女たち》の翻刻(図3)や、著名な美術雑誌『ガゼット・デ・ボザール』1889年12号に掲載された、ジュール・ブルトン[1827-1906]の《フィニステールの小集落の夕べ》を写した図版 https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k203129m/f665.itemを見ると、卓越した描写技術を窺い知ることができます。熱心に取り組んだでしょうが、対象を生真面目に複写するだけのこと。こうした仕事には飽き足らない部分があっただろうと、容易に想像できます。その後1891年に木版画に開眼して(図1)、以降、多くの独創的で個性的な作品を生み出すことになります。それと同時期に並行していたのが挿画の仕事でした。
 木版画でもそうなのですが、彼の関心のある主題として「群衆」があります。いち早くヴァロットンの木版画に注目した文筆家オクターヴ・ユザンヌ[1851-1931]が企画して序文も書いた書物『群集―パリの野次馬たち、街路の生理学』(1896年刊行)には、ヴァロットンの挿画30点が掲載されています。それらは、彼が目に留めたパリの人々の生活の見本帳のような趣があります。
 ヴァロットンが描く群衆の中には「こども」の姿もあり、小さな人たちの行動にも彼は特段の関心を向けていました。これらは、アルプスの国からやってきた他所者が大都会パリに発見した主題に違いありません。青年男子としては、街を闊歩する魅力的なご婦人たちに目を奪われることもあったでしょう(図4 [鳥の羽型の装飾のある帽子は、ナビ派の盟友エドゥアール・ヴュイヤール[1868-1940]もカラーリトグラフにしていますhttps://jmapps.ne.jp/niigata_kinbi_banbi/det.html?data_id=2252] )。ですが、より精彩のある表現が見られるのは、圧倒的に「群集」と「こども」を取り上げたものです。

 そうした挿画から、中でも「笑い」を誌名としている風刺雑誌『ル・リール』に掲載されたものを幾つか挙げてみましょう。
 まずは1894年12月1日付の第4号の表紙(図5)。この雑誌にヴァロットンが登場する最初にして、表紙を飾った号です[表紙担当は都合6回]。絵の下のキャプションは「今日のブルー・カラー」。即ち、本図は労働者階級のデモの様子です。男性労働者の団体がほぼ画面の手前を大きく占め、そこには隊列を規制する警官や、女性や若者、そしてこどもの姿まで様々に表現されています。画面上部、デモ隊の向こう側の、ちょうど上部中央の目立つ位置にぽつんと佇む一人のこどもに視線が行きます。しかも、青い服(警官もそうですが)。題名の含みはいかなるものなのでしょうか。
 その他の表紙も見てみましょう。1898年1月8日付第166号表紙です(図6)。下部のコメントは次のとおり:「バレンシアオレンジだよ!美味しいよ!」「おい、そこの売り子が見えるだろ?あいつが20歳の頃、俺は惚れてたんだ。」「彼女はその頃からオレンジを売っていたのかい?」「いや、その頃は花を売ってたよ!」画面には様々な要素がいっぱいに詰め込まれ、賑やかな街の活気が伝わると同時に、細部を見る楽しみも盛沢山です。左下方の二人のこどもの姿に加えて、右上奥の、引率されている小さな子たちの行列にも注目。さらにイヌたちがあちらこちらに現れ、パリの喧噪がさらに強調されるようです。障害者の姿をそっと描き込んでいる点も見過ごせません。
 表紙担当の最後となったのが、1898年6月23日付第190号です(図7)。下部には、「おい、御者!こちらが逃げ出したお客様だ。植物園へお連れしてくれ!」[知識不足で、含意を汲み取れず……]。言葉を遣り取りする二人を異なる職種・階層の大人たちが遠巻きに見守る中(広告塔の陰から警官も様子をうかがっています)、縦縞の服を着た頬の赤いこどもが紛れ込んでいます。しゃがみこんだ不思議な姿勢で大人二人を見上げているのが印象的。その隣の白いイヌに加え、画面の奥にも別のイヌたちが戯れているのが見えます。その周囲には手前の出来事とは全く無関係に行き交う人々がまばらに描かれ、関心と無関心が錯綜する都会の情景の一コマができあがっています。
 次に、誌面の黒白の挿画を見てみましょう(図8)。1895年3月16日付第19号の挿画です。小説家ジュール・ルナール[1864-1910]の文章に添えた画で[『にんじん』(1902 ) 等でもヴァロットンはルナールに挿画を提供]、題は「泥棒だ!」。その声に反応した人々の動きの表現が秀逸です。色がないため木版画と共通する雰囲気がありますが、板木を刻むのとは違って、描線はより自由で滑らかです。服の模様や人々の姿態を様々に工夫し、白と黒の面を効果的に用いて表現する巧みさは見事としか言いようがありません。
 最後に、こどもの様子を取り上げたものを紹介します。『ル・リール』誌の1898年の三つの号には、共通して「かわいらしいこどもたち」と題された計4点の挿画が掲載されています。まったくもって「チャーミングな」こどもたちばかりです。
 1898年4月23日付第181号の場面には男子5人が登場。セーヌ河畔でしょうか、水面に顔を出しているイヌの鼻先に、棒を差し出しています(図9)。キャプションは「頭を叩くなよ。すぐに溺れてしまうからな。」弱ったものを助けるどころではなく、じわじわと苦しませて遊んでいるとは。
 その次号、1898年4月30日付第182号では、ベンチで横になり身をかがめて眠る浮浪者が格好の標的になっています(図10)。6人のこどもたちが取り囲み、やりたい放題のいたずらには手加減ありません。足に結んだ紐をこっそりベンチに固定しようとさえしています。キャプションは「こいつ、動かすようだよ。目を覚ますだろう。」「怖がらないで、やつは何も聞こえないよ。砂で耳をふさいだから。」「次は誰が唾を吐く番?僕はもうやりたくないよ。」目を覚ました後の顛末が想像できます。
 その約2か月後、1898年7月2日付第191号には見開きで2点掲載されています。
 「おい!ガラス職人、お前は運がいいな!お前の商売はうまくいってるし。」(図11)。通りの反対側から大声で囃し立て、道端の小石?を拾って投げるこどもたち。ストップモーションで宙に浮かんだ小石が二つ。職人が背負ったガラスに見事命中して小躍りする姿が何とも憎たらしいこと。被害者は、黒いイヌにも吠え立てられ、唖然として立ち止まっています。通りがかりの紳士は何も言えずに見つめるしかありません。
 「おい!ガンビヤール!お前の母ちゃんに、お前みたいな妹をこしらえろって言ってくれ。そうすりゃ俺が結婚するぜ。」[ガンビヤールは職業名らしい](図12)。松葉杖をついて動きの鈍い怪我人は、獲物としては好都合です。からかいの言葉のつぶてを投げつけるばかりか、後ろでは泥の球まで準備していますから、始末に終えません。背景描写まで手抜かりはなく、街灯にマーキングするイヌや、重そうな頭陀袋の荷を担いで行く労働者、騒ぎを聞きつけて店頭に出てきた女従業員の姿までも見えます。
 19世紀末のパリの街頭では、実に「かわいらしい」こどもたちがあちらこちらで躍動していたのでした。

*       *       *

 暮も押し詰まり年が変わる直前で、誕生日(12月28日)と命日(12月29日)を立て続けに迎えるヴァロットン。記念の年を終えるにあたって雑文を記してみました。天国で軽い苦笑いくらいは浮かべてもらえたでしょうか。

(館長 桐原 浩)

■参考:
展覧会図録『ヴァロットン―冷たい炎の画家』、三菱一号館美術館、2014年。
展覧会図録『ヴァロットン 黒と白』、三菱一号館美術館、筑摩書房、2022年。

■図版題名[典拠]:  *いずれも新潟県立近代美術館・万代島美術館の所蔵資料より
図1 ヴァロットン《自画像》1891年
    [『ラール・エ・リデ[L’Art et l’Idée]』第2号、1892年に掲載]
図2 エルマン=ポール[1864-1940]《我々の協力者フェリックス・ヴァロットン》
    [『ル・クーリエ・フランセ[Le Courrier Français]』第11巻第12号、1894年3月25日付、9頁掲載]

*ヴァロットンの背後の壁に飾られているのは、自作木版画のようである。向かって右には《リヒャルト・ワーグナーに》(1891年)。左側、上下2点で額装されている上側には、『レスタンプ・オリジナル』第1集に収録された《街頭デモ》(1893年)の一部が認識できる。とすると、木版画個展の会場で、手にした版画を吟味している紳士客を前に、紙ばさみの中の自作を出そう/しまおうと、不安げな表情を見せているヴァロットンの様子を、実に巧みに捉えたものと見なせるだろう。

図3 ヴァロットンによるダニャン=ブーヴレ《パルドン祭りのブルターニュの女たち》(1889年)のエッチング翻刻
        [『絵画彫刻サロン名品選 第11年次』[Le livre d’or du salon de peinture et de sculpture. onzième année]、書物愛好家書肆 Librairie des Bibliophiles、パリ、1889年に掲載]
図4 ヴァロットン《無題》
    [『ル・クリ・ド・パリ[Le Cri de Paris]』第17号表紙、1897年5月23日付]
図5 ヴァロットン《今日のブルー・カラー》
    [『ル・リール [Le Rire]』第4号表紙、1894年12月1日付]
図6 ヴァロットン《バレンシアオレンジだよ!美味しいよ!……》
    [『ル・リール [Le Rire]』第166号表紙、1898年1月8日付]
図7 ヴァロットン《おい、御者!……》
    [『ル・リール [Le Rire]』第190号表紙、1898年6月23日付]
図8 ヴァロットン《泥棒だ!》
    [『ル・リール [Le Rire]』第19号、1895年3月16日付]
図9 ヴァロットン《かわいらしいこどもたち―No. 1》
    [『ル・リール [Le Rire]』第181号、1898年4月23日付]
図10  ヴァロットン《かわいらしいこどもたち―II》 
    [『ル・リール [Le Rire]』第182号、1898年4月30日付]
図11  ヴァロットン《かわいらしいこどもたち!―I》
    [『ル・リール [Le Rire]』第191号、1898年7月2日付]
図12  ヴァロットン《かわいらしいこどもたち!―II》 
    [『ル・リール [Le Rire]』第191号、1898年7月2日付]