学芸員コラム㉑ 白髪一雄を巡る旅 ―身体性を取り戻すために

2023年06月17日

 5月8日から新型コロナウイルス感染症は5類感染症に移行し、私たちはコロナ前の日常を取り戻しつつあります。一方で、この感染症の世界的な流行をきっかけとして様々な社会的な変化が起こり、今や当たり前のこととして、私たちの生活の中に浸透している事柄も多いのではないでしょうか。例えば、テレワークやオンライン会議が制度的にも技術的にも普及したことなどもその一例です。私自身も1時間以上かけて美術館まで通勤することなく、自宅にいながら職場のパソコンにアクセスすることができるようになりました。ここ数年のうちに身体的な接触や移動を伴うことなく、様々なことができるようになったと実感しています。

 さて、5月26日から28日まで、美術史学会全国大会が九州大学を会場に開催されました。昨年はすべてオンラインで行われましたが、今年はオンラインと対面を併用して開催されました。コロナ前であれば、「遠いし、交通費もかかるし、行かなくてもいいか」で済ませていたはずですが、オンライン参加が可能になったことで、新潟にいながらこうした学会に気軽に参加し、最新の研究に触れる機会を持てるようになりました。このことは地方に住む研究者のみならず、様々な事情により家を空けられない人にとっても、大変ありがたいことです。

 今回、大会に参加した大きな目的は、初日に開催されたシンポジウム「偶然・必然・自然―形象の生成と認識をめぐって―」を聴講することにありました。このシンポジウムは、「偶然」に見いだされた形象を芸術家たちがいかに自らの造形として作品の中に取り込んでいったのか、そしてそのことが美術史上どのような意味や機能をもっているのかという趣旨で、5人の研究者から古今東西を跨いだ事例報告がありました。私は中でも関西大学の平井章一先生の「“アクション・ペインティング”再考―「具体」・アンフォルメル・抽象表現主義―」を聞くのを楽しみにしていました。なぜなら、この報告の中で言及されるはずの画家・白髪一雄の展覧会を来年1月から当館で開催する予定だからです。

 白髪一雄(しらが かずお 1924-2008)は日本を代表するアクション・ペインターの一人で、天井から吊り下げたロープにつかまりながら、足を使って描く「フット・ペインティング」を生み出した画家として知られています。私が白髪の作品に初めて接したのはまだ学生時代のことでしたが、各地の美術館で作品を目にする度に、大量の絵の具の中にくっきりと残った身体の痕跡に度肝を抜かれ、そのパワーに圧倒されてきました。白髪の作品を見ていると、絵の具の中に足を入れた瞬間のぬるっとした感触や、ひんやりとした感触(もちろんそのような体験を私自身はしたことがないので、実際のところはわかりませんが)、そうした感覚を想起せずにはいられないのです。つまり、白髪の作品というのは視覚のみならず、鑑賞者自身の身体感覚に直接、強く訴えかける絵画だといえるでしょう。あたかも鑑賞者自身が白髪の身になったかのように、彼の行為を追体験し、その身体感覚を共有させる力が白髪の絵にはあるように思います。

 さて、平井先生の報告の中で、白髪のフット・ペインティングは「偶然を活用しながら、偶然と戦う」という制作方法であったとの話がありました。つまり、フット・ペインティングにおいては、体に任せるのが6割、残りの4割は白髪自身が意識的にコントロールするというもので、まさに意識と無意識、身体と精神のせめぎあいの結果生まれた作品であるというのです。このことを実感する機会がこのシンポジウムから2週間後に訪れました。

6月上旬、私は白髪一雄展の準備のため、白髪の出身地である兵庫県尼崎市と、白髪の展覧会を開催中の北九州市立美術館に向かいました。県外への出張はコロナ後初めてのことだったので、緊張感と同時に解放感のようなものも感じていました。最初に訪れた尼崎市の白髪一雄記念室では、白髪の制作の様子を記録した映像が流れており、絵の具の中でツルツルと思わぬ方向へと足を取られるのに抗い、自分のイメージする作品を描くために全身を使って必死に格闘する白髪の姿がそこにはありました。

 続いて訪れた北九州市立美術館では、当館の今年度の展覧会案内にも図版を掲載している《天富星撲天雕》(てんふせいはくてんちょう)という作品が展示されていました。筆だけでは到底描くことができない力強いエネルギーや、身体のダイナミックな痕跡を目の当たりにすることができました。併せてこの日は、関西大学の平井章一先生と北九州市立美術館の後小路雅弘館長の対談講演「東アジア美術としての白髪一雄」を聞くことができました。そこで、白髪が赤い絵の具を多用することについて、幼い頃から目にしていた尼崎のだんじり祭りの激しいぶつかり合いや、そこで流れる血のイメージが根底にあったという話を伺いました。戦時中の一時期を除き、終生故郷の尼崎で制作活動を続けた白髪。尼崎という風土が白髪の作品を形成するにあたり大きな影響を与えたに違いありません。今回、阪神地域に実際に足を運んだことで、白髪一雄を理解するのにまた一歩近づけたように思いました。

 私の白髪一雄を巡る旅は一度ここで幕を閉じますが、当館では来年1月13日から「尼崎市コレクション 白髪一雄」を開催します。新潟の皆様を白髪一雄を巡る旅にいざなえるよう準備を進めてまいりますので、どうぞ楽しみにお待ちください。

(主任学芸員・飯島沙耶子)

白髪一雄《天富星撲天雕》1963年 尼崎市蔵

  
駅前からみた尼崎城        北九州市立美術館