学芸員コラム39 イメージの転載、もしくは流用――ドイツ表現主義の周辺で―― (1)『新興芸術年鑑』から

2025年06月04日

国立国会図書館のデジタルコレクションで調べ物をしていて、ひとつのカットに目が留まりました(図1)。あれ、このイメージ、どこかで見たことがある。そう直感したのですが、私の場合、こうした視覚的記憶はたいがい当てになりません。美術館学芸員を仕事にしていながら、殆どがハズレに終わります。ところが、今回はアタリでした。こんな場所にも、表現主義の周辺からイメージが流用されているなんて。小さな発見でした。

図1

まず、当のカットを紹介しましょう。昭和2(1927)年発行の『サンデー毎日懸賞入選 大衆文藝傑作集』(大阪毎日新聞社) に掲載されていました。梅枝門太郎「鬼薊色夜話」[おにあざみうきなのよばなし] の題字の上に添えられたものです。このカットにだけ、『大衆文藝傑作集』に収載されている他の作品とはちょっと異質な感じを覚えました。そのはずで、天を仰ぐ裸婦のイメージを様式化したこの図像、ドイツ、ライプツィヒのクリンクハルト&ビーアマン社刊行の『ヤールブーフ・デア・ユンゲン・クンスト』[Jahrbuch der jungen Kunst: カナ表記は長いので、以下 『新興芸術年鑑』とします] 1921年版の表紙に由来するものだったのです(図2)。当時ポスター制作で注目されていたフェルディ・ホールマイアー [Ferdy Horrmeyer 1890-1977] の原案に基づくものと本書に記載がありました。

図2

二つを比べて見るとどうでしょう。ほぼそっくりそのままです。よくよく観察すれば、星の数や位置が多少違う、手足と身体の角度が微妙に異なる、といったところは出てきます。が、誤差の範囲で、恐らく版下原稿の作成段階で生じたズレみたいなものでしょうか。

このようなドイツ表現主義に関わる画像の転載(ありていに言えば無断借用)や図様の応用は大正期には頻出していました。そして、こうした事象は昭和以降も引き続いていました。広告美術の分野では洋雑誌などからの転用事例が幾つもあったことを、山名文夫[1897-1980]は『体験的デザイン史』(ダヴィッド社、昭和51(1976)年) で嘆いています(64頁)。

そう言えば、この傾向に連なる興味深い一例を、当県出身の版画家・深澤索一[1896-1947] も生み出していることに思い当たりました。意義深い展覧会『深澤策一と近代の版画』[主催:当館ほか、会場:新潟県民会館ギャラリー、平成13(2001)年] で紹介されたのは、もう20年以上も前のこと。今回改めて図録に挙がる参考文献の一つを読み直し確認してみました(西野嘉章「若き吉行エイスケが心血注いだ幻のダダ誌拝見」『芸術新潮』平成19(1997)年11月号掲載)。索一は、大正13(1924)年4月に刊行された前衛的な雑誌『賣恥醜文』創刊号の表紙・裏表紙に使われた木版画の制作をしていました(図3、4)。西野氏は、その表紙図案(図3)の参照源として、『新興芸術年鑑』と同じ出版社から刊行された当時の新しい芸術を扱う叢書「ユンゲ・クンスト」[Junge Kunst: 直訳で「若き芸術」、意訳で「新興芸術」] の表紙図案(図5)があったとする神奈川県立近代美術館学芸員(掲載時)の水沢勉氏の指摘を紹介しています。そして、西野氏は裏表紙の女性像(図4)の源泉として、この1921年版『年鑑』(図2)を挙げていたのでした。 

図3 図4

図5

勿論、『傑作集』のカットのように直接の応用ではありません。当館松矢国憲専門学芸員が展覧会図録論文中で指摘するように、「機を見て敏で」「時代の美術的波に鋭敏であった」索一は、既に自ら創造していた裸婦像の「象徴性や甘美さ」に造形的な新しさを加えるヒントとして、ドイツ表現主義を利用していたのでした。叢書「ユンゲ・クンスト」の表紙図版は木版画ではありませんでしたから、その雰囲気を木版画で再現するのに苦心し、工夫を凝らしていたことがわかります。

大正期後半には、ドイツに学んだ者が当地から書物をもたらし、更に第一次大戦後の為替レートの関係でドイツの洋書は輸入し易い状況にあったと思われます。そのためか日本においてドイツ表現主義の作品の引用や転載事例は結構見つかるのです。

西野氏の文章は、そうした図案転載の一例を挙げていました。ドイツ留学者であった村山知義[1901-1977] が帰国後のマヴォ創設時から交流のあった尾形亀之助[1900-1942] の処女詩集『色ガラスの街』(恵風館、大正14(1925)年11月06日発行)の表紙です。そこに、ドイツ表現主義の画家の一人ハインリヒ・カンペンドンク[Heinrich Campendonk 1889-1957] の木版画が使われていたとのこと。誌面に図版掲載がなかったので、まず尾形の詩集を国会図書館のデジタルコレクションで確認してみました(図6)。

図6

それから、この木版画を調べると、ミュンヘンで刊行された月刊(途中隔月も)の冊子『デア・ヴェーク』[Der Weg :「道」の意] 第1巻第1号(1919年1月)に掲載されていたことがわかりました。

村山は『演劇的自叙伝 2 1921~27』(東邦出版社、昭和46(1971)年)で尾形について触れているのですが、詩集表紙の件については言及がありません。この表紙の直接の源泉はどこにあったのでしょうか。調べ始めたばかりの勉強不足で特定できません。

因みにこの木版画は、尾形の詩集に先立って、既に大正12(1923)年4月10日発行の一氏義良『現代欧洲の美術』(成島弘文館)の表紙にも使われています(図7)。

図7

また、同じ大正12(1923)年9月3日発行の『みづゑ』第223号22頁に、シュミット=ロットルフの著名な木版画連作の中の1点《キリスト》(1918)と並んで図版掲載がありました(図8)。《室内》として紹介されています。

図8

ついでながら記しておきますと、村山はこの年7月2日から14日まで神田小川町の画廊流逸荘で「最近露独表現派展覧会」を開催、滞独時の知人永野芳光[1902-1968] が請来したカンディンスキーの水彩などを展示しました。その中にはカンペンドンクの木版画が2点あったのですが、この作品かどうかわかりません。そして、この表現派展覧会ですが、震災後の10月末に、内容の一部を変更しつつ新潟市の新潟毎日新聞社を会場に開催され、大きな反響を呼びました[五十殿利治『大正期新興美術運動の研究』、スカイドア、平成7(1995)年、422-428頁] 

地方ですらそうでした。その頃、ドイツ表現主義のような新しい表現を求めていたのは、一部の先鋭的な表現者たちだけではなかったようです。なぜなら、最初に紹介したカットは、新たに登場してきた媒体である週刊誌に関わるものでもあったからです。つまり、大衆的な視線を意識し、売り上げも必要とするメディアがこのカットを採用したと想定されるからです。とはいえ、この仮説にはまだまだ調べる余地が残されています。梅枝の小説は昭和2(1927)年の『傑作集』に載せる前に『サンデー毎日』で発表されていたと思われますが、初出時の掲載号やカットの有無などの確認がまだできていません。『傑作集』収載にあたってカットが追加された可能性もあり得ます(『傑作集』収録作には、初出時とカット・挿画が異なるものあり)。『傑作集』の編集時点で、『新興芸術年鑑』の表紙図案を知る誰かの指示により、カットとして転載されたのかもしれません。

大衆的なメディアで紹介されるドイツ表現主義版画の例は他にも見つかりました。『サンデー毎日』の競合誌『週刊朝日』の事例です。大正11(1922)年2月に創刊されると、同年6月4日発行の第1巻第14号に表現主義系の木版画を掲載していました(図9)。「清水 エフ・アダム・ウエーベル筆」と記されていますが、作者は、エヴァリスト・アダム・ウェーバー[Evarist Adam Weber 1887-1968]、作品は1919年制作の木版画《泉にて》[Am Brunnen](1919)です。この木版画は、本稿の最初の方で紹介した『新興芸術年鑑』1921年版の前の号、即ち、第1巻となる1920年版にオリジナル版画として掲載されているものでした。恐らくそこから転載されたのではないでしょうか。ウェーバーの表現は前衛的過ぎず、どちらかと言うと装飾的で穏当な表現です。一般読者に対して、創刊間もない誌面の新しさを視覚的に伝えるのに好適。そのような素材と判断されたのかもしれません。この『週刊朝日』の号は偶々手元にあったものでした。前後する号も調べてみないといけませんね。

図9

*       *       *

『新興芸術年鑑』1921年版からの流用事例は、もう1件あるのです。次稿で報告します。[続く] 

(館長 桐原 浩)

■図版題名一覧[典拠/所蔵先]

図1 梅枝門太郎「鬼薊色夜話」 [おにあざみうきなのよばなし]の題字カット(『サンデー毎日懸賞入選 大衆文藝傑作集』大阪毎日新聞社、昭和2(1927)年、509頁)  [国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1189092 (参照 2025-06-04) コマ番号259の複写資料の転載] /図2『新興芸術年鑑』1921年版 [稿者所蔵] /図3『賣恥醜文』創刊号(大正13(1924)年4月) 表紙 (深澤索一の木版画による) [展覧会図録『深澤索一と近代の版画』(新潟県立近代美術館、平成13(2001)年、16頁] /図4『賣恥醜文』創刊号(大正13(1924)年4月) 裏表紙 (深澤索一の木版画による) [展覧会図録『深澤索一と近代の版画』(新潟県立近代美術館、平成13(2001)年、16頁] /図5 叢書「ユンゲ・クンスト」から [稿者所蔵] /図6 尾形亀之助『色ガラスの街』(恵風館、大正14(1925)年11月6日) 表紙(カンペンドンクの木版画を掲載) [国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1018304 (参照 2025-06-04) コマ番号1] /図7 一氏義良『現代欧洲の美術』(成島弘文館、大正12(1923)年4月10日) [国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/976925 (参照 2025-06-04) コマ番号3の複写資料の転載] /図8 カンペンドンク《室内》(『みづゑ』第223号、大正12(1923)年9月3日発行、22頁) [稿者所蔵] /図9 エフ・アダム・ウエーベル《清水》(『週刊朝日』第1巻第14号、大正11(1922)年6月4日) [稿者所蔵]